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大阪地方裁判所 昭和42年(ワ)3472号 判決 1969年8月09日

原告 山本美佐江

<ほか二名>

右原告三名訴訟代理人弁護士 石川元也

同 鈴木康隆

被告 谷口隆

<ほか一名>

右被告両名訴訟代理人弁護士 押谷富三

同 田宮敏元

同 辺見陽一

主文

被告両名は連帯して、原告山本美佐江に対し金一〇〇万円、原告山本春雄に対し金五三万六、二三二円、原告山本陽子に対し金五〇万円及び右各金員に対する昭和四〇年八月一七日以降支払済まで、年五分の割合による金員を支払え。

原告等のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は被告両名の連帯負担とする。

この判決は原告等勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

(原告等)

被告等は各自、原告山本美佐江に対し金一〇七万円、原告山本春雄に対し金五七万一、二三二円、原告山本陽子に対し金五三万五、〇〇〇円、及び右金員に対する昭和四〇年八月一七日以降支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告等の負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言。

(被告等)

原告等の請求を棄却する。

訴訟費用は原告等の負担とする。

との判決。

第二主張

請求原因

一(一)  原告山本美佐江(以下原告美佐江という)は昭和二八年五月二六日生れの少女で、昭和三九年七月右下肢座性麻痺と診断され、身体障害四級の身体障害手帳の交付を受けていたが、通常の小学校通学は可能であった。

(二)  原告山本春雄(以下原告春雄という)、同山本陽子(以下原告陽子という)は原告美佐江の父母である。

(三)  被告谷口隆(以下被告隆という)は、「あん摩、マッサージ指圧師、はり師、きゅう師、柔道整復師等に関する法律」(昭和二二年法律第二一七号)第二条第一項の免許を得て、谷口接骨院の名の下に接骨医を営んでおり、被告谷口フサ(以下被告フサという)はその妻である。

(四)  原告美佐江は昭和四〇年六月初め頃、通学先の小学校長、訴外○○○の紹介で谷口接骨院を訪れ、被告隆の診察を受けたところ、同被告は「原告美佐江は両股関接脱臼であるから、三ヵ月通院すれば完全に治してみせる。」と述べたので、原告良雄、同陽子は被告隆に原告美佐江の治療を頼むことにした。

(五)  被告隆は昭和四〇年六月二四日、原告美佐江に第一回目の治療を施し、同日以後引続き同女を治療していたが、同年八月一七日は体の調子が悪かったので、被告フサに原告美佐江を治療させた。被告フサは原告美佐江の右足をマッサージし、次に左足に移った時、原告美佐江に左大腿部骨折の傷害を負わせた。

(六)  被告フサは、直ちに右骨折の事実を被告隆に連絡し、被告隆は原告美佐江に接骨ギブスをはめ、五〇日間治療したが全治せず、結局原告美佐江は左大腿骨々折変形治療により、坐位、起立、歩行が不能となった。

二、原告美佐江の右傷害は被告等の左記過失によって生じたものである。

(一)  被告隆は被告フサが柔道整復師の免許を受けておらず、その技倆は極めて未熟拙劣であることを知っていたにもかかわらず、漫然と被告フサに原告美佐江の治療を委ね、また、被告フサが原告美佐江に負わせた左大腿部骨折の手当についても、十分な措置を講じなかった。

(二)  被告フサは柔道整復師の免許を有していないのであるから、原告美佐江の左足を治療するについては十分注意を払い、原告美佐江に傷害を与えることのないよう注意すべきところ、技倆未熟のため、誤って原告美佐江に左大腿骨々折の傷害を負わせた。

三、(一) 原告春雄の財産的損害 金三万六、二三二円

原告春雄は原告美佐江の扶養義務者として、同女のため次の金員を支払った。

(イ)  大阪府済生会中津病院入院治療費

昭和四一年二月五日より同年一〇月二七日まで 金三万四、〇三二円

(ロ)  松葉杖一組、ゴム二具買受代金金二、二〇〇円

(二) 慰謝料

(イ)  原告美佐江 金一〇〇万円

原告美佐江は脳性小児麻痺のため、右足尖足位拘縮と診断され、身体障害四級の手帳の交付を受けていたが、小学校通学は可能で、被告隆の治療を受けるまでは、歩行の際内股で歩くが、普通の子供とほとんど変ることなく通学していた。

然るに、原告美佐江は被告隆の安易粗雑な治療態度、及び被告フサの未熟な技倆による治療のため、通常の歩行は勿論のこと、坐位、起居も不可能な状態に陥り、将来歩行できるようになるには整肢学院に通わなければならなくなった。

現在、原告美佐江は松葉杖を用いてもなお歩行不能の状態にあり、通常の中学校への入学は不可能なため、堺市所在の大阪府立堺養護学校へ収容され、そこで中学の教育を受けることを余儀なくされている。

このように、原告美佐江は、被告等の過失によって、現在の明るい生活と祝福さるべき将来への希望をことごとく奪いとられてしまったのであり、その精神的苦痛は到底筆舌に尽すことはできない。

このような原告美佐江の精神的苦痛に対する慰謝料は金一〇〇万円とするのが相当である。

(ロ)  原告春雄、同陽子 各金五〇万円

原告春雄、同陽子は、原告美佐江のため献身的な看護をしてきたが、同女はついに通常の歩行すら困難になってしまった。

原告美佐江は女子であるから、父母としての右原告両名の精神的苦痛は、現在においてはもとより、将来においても耐えがたいものと考えられる。

そうすると、原告春雄、同陽子の精神的苦痛もまた被告等によって慰謝さるべきであり、その額は右原告等各自につき金五〇万円が相当である。

(三) 弁護士費用

被告等は、原告等の本件訴訟の弁護士費用として各請求額の七%に当る左記金員を支払うべきである。

(イ)  原告美佐江分 金七万円

(ロ)  原告春雄分  金三万五、〇〇〇円

(ハ)  原告陽子分  金三万五、〇〇〇円

四、仮に、原告等の右不法行為に基づく損害賠償請求の主張が認められないとしても、被告等の行為は昭和四〇年六月二四日、被告隆と原告春雄、同陽子間に締結された「被告等は原告美佐江に完全な治療を行う。」旨の契約に違反する行為であるから、原告等は被告等に対し債務不履行に基づく同額の損害賠償請求権を有している。

五、よって、原告等は被告等に対し、損害賠償義務の履行として、各自、原告美佐江に金一〇七万円、原告春雄に金五七万一、二三二円、原告陽子に金五三万五、〇〇〇円、及びこれら各金員に対する昭和四〇年八月一七日以降支払済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(被告等)

答弁

(一) 請求原因一の(一)中、原告美佐江が通常の小学校通学が可能であったことは否認し、その余の事実は認める。

(二) 同一の(二)、(三)は認める。

(三) 同一の(四)中被告隆が昭和四〇年六月頃、○○○の紹介で原告美佐江を診断し、同女を治療することになったことは認め、その余の事実は否認する。

(四) 同一の(五)は認める。

(五) 同一の(六)中、被告隆が原告美佐江に接骨ギブスをはめ、五〇日間治療したことは認め、その余の事実は否認する。

(六) 同二の事実は否認する。

被告隆は三九年間の経験を有する日本伝柔道整復師であり、被告フサも長年補助者として被告隆の傍にあり、柔道整復術に通じ優秀なる技能を有している。

被告隆は、原告春雄、同陽子に対し、「原告美佐江は小児麻痺後遺症であるから全治不能であり、柔道整復術を施すに際し十二分の注意を払ってもなお骨折の危険がある。」旨説明し、治療を断ったが、右原告等が、右危険を承知の上で是非治療してほしいと懇望するので已むをえず原告美佐江の治療を引受けたにすぎないし、本件骨折はマッサージ治療によって身体に加えられた外力によって発生したものではなく、脳性小児麻痺による急激な神経系痙縮により発生したものである。

従って、被告等には過失はない。

(七) 同三の事実は否認する。

(八) 同四の事実は否認する。

被告隆と原告春雄、同陽子間に「原告美佐江を治療する。」旨の契約はあったけれども、右契約は原告美佐江に完全な治療を行うことまで合意したものではない。

第三証拠関係≪省略≫

理由

一、原告美佐江は、昭和二八年五月二六日生れの少女で昭和三九年七月右下肢座性麻痺と診断され、身体障害四級の身体障害者手帳の交付を受けていたこと、原告春雄、同陽子は原告美佐江の父・母であること、被告隆は(「あん摩、マッサージ指圧師、はり師、きゅう師柔道整復師等に関する法律」(昭和二二年法律第二一七号)第二条第一項の免許を得て、谷口接骨院の名の下に接骨医を営んでおり、被告谷口フサはその妻であること、原告美佐江は昭和四〇年六月、通学先の小学校長訴外○○○の紹介で被告隆の経営する右接骨院を訪れたこと、被告隆は同月二四日以来引続き原告美佐江を治療していたが、同年八月一七日は体の調子が悪かったので被告フサに原告美佐江を治療させたこと、被告フサは原告美佐江の右足をマッサージし、次に左足の治療に移った時、同女に左大腿部骨折の傷害を与えたこと、右骨折後、被告隆が原告美佐江に接骨ギブスをはめ、五〇日間治療したこと、は当事者間に争いがない。

(被告等の過失)

一、≪証拠省略≫によれば、次の事実が認められる。

(一)  原告美佐江は、生後間もなく脳性小児麻痺を患い、満二才位の時、大阪日赤病院で右足尖足と診断された。そして、小学四年生頃になると、早足で歩くと右足が外側に湾曲するのが目立つようになったが、通常の歩行にはほとんど影響がなく、小学校の出席状況も、三年生の時は欠席一四日、四年生の時は欠席七日、五年生の時は皆勤で、体育の時間に跳び箱が跳べない等の特別の場合を除いては、健康体の児童と変らぬ学校生活を送り、伊勢神宮方面への修学旅行にも参加していた。原告春雄、同陽子は、日頃何とかして原告美佐江の足の故障を完全に治してやりたいと考えていたところ、原告美佐江が六年生の時、同女が通学していた○○市立○○○小学校長○○○から、被告隆の治療を受けてはどうかと勧められたので、昭和四〇年六月初め頃、原告陽子が原告美佐江を伴って、谷口接骨院を訪れた。被告隆は原告美佐江を診断して原告陽子に対し、「三週間ほど入院したら後は通っていい。夏休みまでに治してやる。」と述べたので、原告陽子は帰宅して原告春雄と相談した上、被告隆に原告美佐江の治療を委ねることにした。被告隆は原告美佐江の足の故障が脳性小児麻痺の後遺症に基因するもので、同女の足の骨の発育が通常の児童より劣っていることを十分知りながら同女の治療を引受けた。同年六月二四日、原告陽子が第一回の治療のため、原告美佐江を連れて谷口接骨院を訪れたところ、被告隆は原告美佐江を寝台の上に仰向けに寝かせ、同女の腰部の上に座布団を置いて、その上からロープをかけて同女の腰部を寝台に固定させ、まず原告美佐江の両足を下方に牽引し、次に同女の大腿部を手で握って徐々に、同女の足を同女の頭の上の方に持ってゆく一種の屈伸運動を数回繰返し、その次に、原告美佐江の足を空中に起こし、これを内転、外転、内旋、外旋する処置を施した。その間原告美佐江は痛さのため大声で泣き叫んだ。被告隆は同日以後同年七月一五日頃まで原告美佐江を右接骨院に入院させ、毎日同女に対し全身マッサージ、及び右六月二四日と同様の処置を施した(但し、原告美佐江をロープで寝台に固定したことはなかった。)。原告美佐江は退院後も毎日右接骨院に通院して引続き被告隆から右と同様の治療を受けていた。ところが、被告隆は同年八月一七日、風邪をひいて体の調子が悪かったので、約一七年間同被告の助手をつとめている被告フサに原告美佐江の治療を委せ、自分は被告フサの傍で他の患者を診察していた。被告フサは、まず原告美佐江の両足をマッサージし、続いて屈伸運動に移り、左手で原告美佐江の左足首を持ち、右手を原告美佐江の膝の内側に入れて足を五、六回屈伸し、次に同女の左足を外転しようとした時、左足を強く外側に向って捩ったため同女に左大腿部骨折の傷害を負わせるに至った。被告隆は被告フサから原告美佐江の右骨折の事実を知らされると、骨折して位置のずれている原告美佐江の左足の骨を一応元の位置に整復する応急手当を施しただけで、直ちに同女の左足にギブスをはめて骨折部を固定してしまい、同日から一週間原告美佐江を右接骨院に入院させたが、その間何の処置もせず、退院後も約五〇日後ギブスを取りはずすまでの間、原告美佐江を右接骨院に通院させたが、右骨折部については何の処置もしなかった。

(二)  このため、原告美佐江の左大腿骨骨折部分は変形に癒着し、同女はそれ以後、坐位、起立が全く不能となり、松葉杖を用いなければ歩くこともできず、用便も一人でできない状態になった。原告美佐江は昭和四一年二月五日大阪府済生会中津病院に入院し、現在に至るまで同病院において入院治療を受けるとともに、同病院内の大阪整肢学院で歩行訓練を受けており、家族との面会は月曜日の午後一時から同六時までの間しか許されていない。原告美佐江は昭和四一年三月○○○小学校を卒業したが、右のような事情から正規の中学校の課程に進学できず、昭和四二年四月から大阪府立堺養護学校中津分校中学部に入学して教育を受けている。原告美佐江の容態が将来良くなる見込みはない。

以上の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

二、ところで、柔道整復師はその技術の特殊性等から、前記「あん摩、マッサージ指圧師、はり師、きゅう師、柔道整復師等に関する法律」により、免許を受けなければ営業できない職業とされており、しかも、被告隆は、原告美佐江が脳性小児麻痺の後遺症で足の骨の発育も通常人より劣っていることは十分承知していたのであるから、被告隆は自分自身で原告美佐江の治療にあたるべきであり、補助的で危険性のない処置を委せる場合は別にして、柔道整復師の免許を有していない助手の被告フサに屈伸運動、内転、外転等の治療行為を委ねることは許されず、また被告フサの治療中に発生した原告美佐江の左大腿骨骨折は、柔道整復師の技能をもってしては完全な治療が困難な傷害であるから、応急の手当が完了した後は、被告隆において原告陽子、同美佐江に対し、治療設備の完備した病院へ行って治療を受けるよう指示する等、万全の事後処置を講ずべき義務があるというべきである。(前示法律第五条参照)被告フサは被告隆の助手として原告美佐江の治療にあたっていたものであり、柔道整復術による治療方法は、前示認定のとおり、特殊技能を必要とするかなり手荒いものであるから、脳性小児麻痺後遺症の原告美佐江に対しては、細心の注意を払って治療行為をなすべき義務があったというべきである。

三  然るに、被告等は、いずれも右注意義務を怠り、この過失が競合して原告美佐江に左大腿骨骨折の傷害を負わせ、同女の坐位、起立、歩行を不能ならしめたのであるから、被告等の右行為は民法第七一九条の共同不法行為に該当する。

(原告等の損害)

一、原告春雄の財産的損害 金三万六、二三二円

≪証拠省略≫によれば次の事実が認められる。

(一)  原告春雄は、原告美佐江の入院費又は治療費として、大阪府済生会中津病院に対し、昭和四一年一月三一日金二、〇九四円、同年二月二四日金三、五三二円、同年四月一一日金一万一、〇七三円、同年四月一四日金一五六円、同年五月一二日、六月一三日、七月九日、八月一一日、九月一〇日、一〇月一八日各金二、五〇〇円、同月二七日金二、一七七円の合計金三万四、〇三二円を支払った。

(二)  原告春雄は、原告美佐江のため、昭和四〇年一二月二三日、訴外オリエンタル義肢株式会社から、松葉杖一組、ゴム二具を代金二、二〇〇円で買受けた。

二、慰謝料

(一)  原告美佐江 金一〇〇万円

原告美佐江の精神的苦痛に対する慰謝料は、本件骨折の経緯、原告美佐江の傷害の程度、治療の経過、年令等諸般の事情を考慮して金一〇〇万円とするのが相当である。

(二)  原告春雄、同陽子 各金五〇万円

原告春雄、同陽子は、原告美佐江の足の故障を治してやろうと献身的な努力をしてきたのに、同女は被告等の過失によってかえって強度の不具者になってしまい、しかも、原告春雄、同陽子は原告美佐江の両親として将来も不具者である同女の身のまわりの世話その他一切の面倒を見ていかなければならない立場にあるから、その精神的苦痛は、原告美佐江が死亡した場合の苦痛にも比すべきものというべきである。

従って、原告春雄、同陽子の精神的苦痛に対する慰謝料もまた認めらるべきものであり、その額は、諸般の事情を考慮して、各自金五〇万円とするのが相当である。

三、弁護士費用

訴訟の弁護士費用について損害賠償請求ができるのは、訴若くはこれに対する抗争(本件の場合は訴に対する抗弁)が、目的その他諸般の事情からみて著しく反社会的、反倫理的なものと評価され、公の秩序・善良の風俗に反して、それ自体違法性を帯びている場合でなければならないと解せられるところ、本件においてこれを認めるに足る証拠はない。

(むすび)

以上の次第であるから、原告等の被告等に対する本訴請求中、原告美佐江に金一〇〇万円、原告春雄に金五三万六、二三二円、原告陽子に金五〇万円、及び右各金員に対する昭和四〇年八月一七日以降支払済まで、民法所定年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める部分は理由があるのでこれを認容できるけれども、その余の部分の請求は理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条但書、第九三条第一項但書、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 井上三郎 裁判官 藤井俊彦 小杉丈夫)

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